かごんまの”まち”の顔を考えもす その1
2005年 03月 02日
鼻かぜぎみ、黄色の風邪薬が必要な?男おいどんでごわす。
さて、かごんまのまちの顔っちいえば、いわずと知れた
桜島ということに誰もがなりもんそが、これからとりあげるのは
まちの中にある建物、風景などでごわす。
かごんまのまちには、たしかに京都や県内の知覧などのように
江戸時代以前の建物などはありません。
理由はいろいろとあって、明治維新後の廃仏毀釈運動で寺院が軒並み打ち壊された
とか、戦争中の空襲で市街地の93パーセントが焼失したとかです。
じゃっどん、戦前の近代建築のいくつかは現在も残り、かつ現役でつかわれて
おりもす。
天文館周辺でごわすと、市役所本館(市電 市役所前電停目の前。上のほうの写真)、
中央公民館(西郷さん銅像のななめ向かい)、南日本銀行本店
(市電 朝日通り電停目の前。下のほうの写真)などがありもす。
けっこうよか建物でしょ。
ふだんはあまり意識してませんが、まちの顔っていえませんけ?
文献をみると、市役所は昭和12年の完成ですが、なんと国会議事堂を設計した
大蔵省の管理部に設計をたのんでます。
国会議事堂(昭和11年完成)と兄弟?まぁドラえもんとドラミちゃん?のような関係なのです。
中央公民館も完成時(昭和初期)九州一の公会堂といわれています。
むかしのかごんまの先人は、まちづくりに気合がはいっとたのでしょうか。
。。。と、ちょっち長くなりもした。
では、きょうはこの辺で。
さて、かごんまのまちの顔っちいえば、いわずと知れた
桜島ということに誰もがなりもんそが、これからとりあげるのは
まちの中にある建物、風景などでごわす。
かごんまのまちには、たしかに京都や県内の知覧などのように
江戸時代以前の建物などはありません。
理由はいろいろとあって、明治維新後の廃仏毀釈運動で寺院が軒並み打ち壊された
とか、戦争中の空襲で市街地の93パーセントが焼失したとかです。
じゃっどん、戦前の近代建築のいくつかは現在も残り、かつ現役でつかわれて
おりもす。
天文館周辺でごわすと、市役所本館(市電 市役所前電停目の前。上のほうの写真)、
中央公民館(西郷さん銅像のななめ向かい)、南日本銀行本店
(市電 朝日通り電停目の前。下のほうの写真)などがありもす。
けっこうよか建物でしょ。
ふだんはあまり意識してませんが、まちの顔っていえませんけ?
文献をみると、市役所は昭和12年の完成ですが、なんと国会議事堂を設計した
大蔵省の管理部に設計をたのんでます。
国会議事堂(昭和11年完成)と兄弟?まぁドラえもんとドラミちゃん?のような関係なのです。
中央公民館も完成時(昭和初期)九州一の公会堂といわれています。
むかしのかごんまの先人は、まちづくりに気合がはいっとたのでしょうか。
。。。と、ちょっち長くなりもした。
では、きょうはこの辺で。
by sumikazu-kago
| 2005-03-02 23:06
| まちづくり