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男おいどんが、鹿児島の"まち"づくりや日々の出来事を書いています


by sumikazu-kago
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かごんまの”まち”の顔を考えもす その1

鼻かぜぎみ、黄色の風邪薬が必要な?男おいどんでごわす。

さて、かごんまのまちの顔っちいえば、いわずと知れた
桜島ということに誰もがなりもんそが、これからとりあげるのは
まちの中にある建物、風景などでごわす。

かごんまの”まち”の顔を考えもす その1_c0051873_2341655.jpg

かごんまのまちには、たしかに京都や県内の知覧などのように
江戸時代以前の建物などはありません。

理由はいろいろとあって、明治維新後の廃仏毀釈運動で寺院が軒並み打ち壊された
とか、戦争中の空襲で市街地の93パーセントが焼失したとかです。

じゃっどん、戦前の近代建築のいくつかは現在も残り、かつ現役でつかわれて
おりもす。

天文館周辺でごわすと、市役所本館(市電 市役所前電停目の前。上のほうの写真)、
中央公民館(西郷さん銅像のななめ向かい)、南日本銀行本店
(市電 朝日通り電停目の前。下のほうの写真)などがありもす。

かごんまの”まち”の顔を考えもす その1_c0051873_2310159.jpg

けっこうよか建物でしょ。
ふだんはあまり意識してませんが、まちの顔っていえませんけ?

文献をみると、市役所は昭和12年の完成ですが、なんと国会議事堂を設計した
大蔵省の管理部に設計をたのんでます。

国会議事堂(昭和11年完成)と兄弟?まぁドラえもんとドラミちゃん?のような関係なのです。

中央公民館も完成時(昭和初期)九州一の公会堂といわれています。

むかしのかごんまの先人は、まちづくりに気合がはいっとたのでしょうか。

。。。と、ちょっち長くなりもした。
では、きょうはこの辺で。
by sumikazu-kago | 2005-03-02 23:06 | まちづくり