女王にタメ張り(笑)!奄美の海岸・畑を紀行する
2005年 07月 26日
こんばんわ。男おいどん ごわす。
きのうの「まちかご」
「奄美の唄・グルメを紀行する」
を書いたら、同じ日にブログ界の女王 眞鍋かをり どんが奄美の放浪記ば
書いちょる!
とMKBF(まちかごブログフレンズの略(笑))の 広告鳥 どんからお知らせがありもした。
ついにおいどんもブログ女王にタメを張るまでになりもしたか。。なーんて。
(写真は美しい奄美の海岸線)
んで、そのブログはこちらごわす⇒眞鍋かをりのぶらりひとり旅
さて、
おいどんも、女王眞鍋どんも、奄美の『 鶏飯 』に舌鼓をうったわけ
ごわすが。。
島唄に象徴される独特の生活リズムのある
奄美大島
じゃっどん!!よかこつばかり ちゅうわけにも
いかんようごわす。。
奄美大島は、実は産業がない。
たとえば、名瀬市の生活保護の受給率は3パーセント近い。
(鹿児島市も全国平均より高いが1.5パーセントくらい。)
さとうきびで黒砂糖つくってるでっしゃろ?
ちゅうた おまんさぁ、よく知っちょいやった!
じゃっどん、いまは大した産業ではない。
じつは奄美の黒糖焼酎の原料の9割超は
外国産のものだったりする。
国の保護政策でようやく栽培を続けているっちゅうのが現実。
大島紬(おおしまつむぎ) あーっ、東京都の伊豆大島ではなくて、
奄美大島の特産でごわすよ、念のため。
これも今は最盛期の半分以下。
じゃあ、何で生活してくのよ、ちゅうと、
国の補助金事業=公共工事ですわな。
「奄美群島振興特別措置法」ちゅうのが50年ちかく続いている。
(もとは昭和28年の本土復帰にともなう”特別措置”なのでごわすが、
ずーっと特別扱いがつづいている)
産業が育たないまんま、経済は全国化・グローバル化していって、
農産業は、さとうきび以外壊滅。
(写真はあきらかに旧耕作地)
価格ではかなわないから、
地元で米・野菜つくらなくなっちゃったんでごわすなぁ。
うーん、6月のおわりにふれた甑島(こしきじま)とおんなじ構図。。
観光も沖縄返還(1972年)までは、
日本の南国・最南端みたくいわれておおかったが。。
いまは、ホンとの南国ハワイ・グァムとか、沖縄にみんな行っちゃうので、
ふるわなーい。
うーん、うーん、なんとかならんか奄美!
チェスト!あまみ。
ただ、奄美群島のなかで
沖永良部島だけは、ややよさげなイメージが。
ゆりの花・球根に代表される花卉(かき)栽培がけっこう産業になっちょる。
ほんで島の知名町とかは、出生率が2.38とか、めっちゃくちゃ高いらしかです。
コミュニティが生きている=近所みんなが仲良くて、
子どもの面倒をみてくれる、安心して働ける
(はたらけるちゅうことは、当たり前ぢゃっどん仕事もあるちゅうこと)
ちゅうことらしい。
やはり、めしが食えて、安心して生活できるのがなにより大事ということでごわんそかい。
究極の地域振興とは、
おのれの故郷、暮らす地域で
日々の糧(かて)にこまらず生活できるように
なることではあるまいか。
実際にそれができなくなっている地域が増えているのは
あげてこの国のかたちをつくってきたと自負する
明治以来の官僚政府の責めを負うところといえまいか。
(うーん、きょうも司馬先生調。)
むずかしいなぁ。
司馬先生調はつかれるんで、きょうはこの辺で。
きのうの「まちかご」
「奄美の唄・グルメを紀行する」
を書いたら、同じ日にブログ界の女王 眞鍋かをり どんが奄美の放浪記ば
書いちょる!
とMKBF(まちかごブログフレンズの略(笑))の 広告鳥 どんからお知らせがありもした。
ついにおいどんもブログ女王にタメを張るまでになりもしたか。。なーんて。
(写真は美しい奄美の海岸線)
んで、そのブログはこちらごわす⇒眞鍋かをりのぶらりひとり旅
さて、
おいどんも、女王眞鍋どんも、奄美の『 鶏飯 』に舌鼓をうったわけ
ごわすが。。
島唄に象徴される独特の生活リズムのある
奄美大島
じゃっどん!!よかこつばかり ちゅうわけにも
いかんようごわす。。
奄美大島は、実は産業がない。
たとえば、名瀬市の生活保護の受給率は3パーセント近い。
(鹿児島市も全国平均より高いが1.5パーセントくらい。)
さとうきびで黒砂糖つくってるでっしゃろ?
ちゅうた おまんさぁ、よく知っちょいやった!
じゃっどん、いまは大した産業ではない。
じつは奄美の黒糖焼酎の原料の9割超は
外国産のものだったりする。
国の保護政策でようやく栽培を続けているっちゅうのが現実。
大島紬(おおしまつむぎ) あーっ、東京都の伊豆大島ではなくて、
奄美大島の特産でごわすよ、念のため。
これも今は最盛期の半分以下。
じゃあ、何で生活してくのよ、ちゅうと、
国の補助金事業=公共工事ですわな。
「奄美群島振興特別措置法」ちゅうのが50年ちかく続いている。
(もとは昭和28年の本土復帰にともなう”特別措置”なのでごわすが、
ずーっと特別扱いがつづいている)
産業が育たないまんま、経済は全国化・グローバル化していって、
農産業は、さとうきび以外壊滅。
(写真はあきらかに旧耕作地)
価格ではかなわないから、
地元で米・野菜つくらなくなっちゃったんでごわすなぁ。
うーん、6月のおわりにふれた甑島(こしきじま)とおんなじ構図。。
観光も沖縄返還(1972年)までは、
日本の南国・最南端みたくいわれておおかったが。。
いまは、ホンとの南国ハワイ・グァムとか、沖縄にみんな行っちゃうので、
ふるわなーい。
うーん、うーん、なんとかならんか奄美!
チェスト!あまみ。
ただ、奄美群島のなかで
沖永良部島だけは、ややよさげなイメージが。
ゆりの花・球根に代表される花卉(かき)栽培がけっこう産業になっちょる。
ほんで島の知名町とかは、出生率が2.38とか、めっちゃくちゃ高いらしかです。
コミュニティが生きている=近所みんなが仲良くて、
子どもの面倒をみてくれる、安心して働ける
(はたらけるちゅうことは、当たり前ぢゃっどん仕事もあるちゅうこと)
ちゅうことらしい。
やはり、めしが食えて、安心して生活できるのがなにより大事ということでごわんそかい。
究極の地域振興とは、
おのれの故郷、暮らす地域で
日々の糧(かて)にこまらず生活できるように
なることではあるまいか。
実際にそれができなくなっている地域が増えているのは
あげてこの国のかたちをつくってきたと自負する
明治以来の官僚政府の責めを負うところといえまいか。
(うーん、きょうも司馬先生調。)
むずかしいなぁ。
司馬先生調はつかれるんで、きょうはこの辺で。
by sumikazu-kago
| 2005-07-26 20:58
| 旅かごしま