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男おいどんが、鹿児島の"まち"づくりや日々の出来事を書いています


by sumikazu-kago
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翼よ!あれが鴨池空港跡ごわす-かごんま今昔。

こんばんわ。 男おいどん ごわす。

まぁ、おっきなバスの車庫・・・って、これはっ!!
みるからに飛行機の格納庫ではごわはんかっっ!
翼よ!あれが鴨池空港跡ごわす-かごんま今昔。_c0051873_19543670.jpg
うーん、ピンクの色ちゅうセンスに好き嫌いはあっとでごわそうが。。

この鹿児島市内・鴨池新町、県庁やら高層住宅ビルが立ち並ぶ
こん一帯こそ、昭和47年4月にいまの鹿児島空港が開港するまで、
かごんまの空の玄関だった旧鹿児島空港(通称:鴨池空港)
だったのでごわす!!

空からかごんま入りすれば、桜島が どん!!ち目の前に♪

帰りは桜島に見送られて。。

という日本屈指の車窓?のひろがる空港だったのでごわす。
滑走路は現在の県庁前から鴨池港に向かう大通り。

きっかけは戦前、大陸や南方に向かう航空路の中継点・本土の玄関として
昭和13年ごろから空港づくりがはじまったのだそうです
(そのころの飛行機は航続距離が短かったのですね)。

しかし、戦争への道が進むにつれ、
完成前に海軍が軍用飛行場としてつかうことになり、
対米開戦直前、あの真珠湾攻撃の演習拠点となりもした。
(鹿児島湾の地形がハワイの真珠湾に似ていたため)

けっこう広い土地でしたので、戦後その一部、真砂町やら三和町のあたりは、
引揚者住宅になったりしました。
やっと平和な民間飛行場としてつかわれたのは昭和32年7月からでごわした。

まぁしかし、滑走路が1200メートルち短く、
ジェット機が飛べない。
市街地がすぐそばまで迫ってきた。

などで、いまの空港にうつったのですな。
移転した年の9月にはかごんまで国体が行われちょるので、
間にあわっすとに必死だったのでごわそうね。

飛行場がまちのすぐそばにあるというのは、

まちづくり の観点からは

じつはわるいことばかりではごわはん。

たとえば、福岡は地下鉄で中心街から15分のとこに空港があります。
福岡の都市としてのエネルギーの何割かはそのおかげ ち思われます。

広島は郊外に大型空港をつくったのですが、
旧空港をそのまま残して近距離のプロペラ便につかってます。

しかし、かごんまの場合は、
完全移転して、跡地を再開発して正解だったのかな ち思います。
県庁をはじめとした官公庁や企業が移転して、
高層住宅団地ができて、
結果として、市街地の再編がうまくいったごとあります。

あと。。あとに残った施設も無駄にはしちょらんです。
翼よ!あれが鴨池空港跡ごわす-かごんま今昔。_c0051873_19494675.jpg
こん、スーパーは、かつての空港ターミナルビルごわす(笑)
もし、県庁あたりにおいでになることがあったら、
5~10分歩いて訪ねっみてくいやんせ。

次回はひさびさ かごんまグルメにしもんそかい!?

では、きょうはこの辺で。
by sumikazu-kago | 2005-09-20 19:49 | 旅かごしま