筑豊の栄光に思う-「まちかご」特別編 そん4
2005年 06月 01日
おはようございもす。 男おいどんでごわす。
すっかり夜明けが はやくって、
おいどん的には、さまーたいむズな今日この頃。
さて、きょうは、特別編の最終回。
「 筑豊日記 」でごわす。
写真は、JR直方駅。
かつて、筑豊炭田は、日本最大の産炭地として、
明治から昭和の戦後すぐまで、日本の発展をささえたのでごわす。
戦後すぐ産業復興のため、
石炭、鉄鋼に経営資源を集中する「 傾斜生産方式 」がとられたころ
石炭成金が増え、引揚者が大量に労働者として働き、空前のフィーバー!
(地元の福岡銀行が預貯金量で日本一!!(地方銀行なのに。)になった)
しかーし、エネルギー政策の転換(石炭から石油)で。。
わずか10年で、閉山があいつぎ、過疎化、いまやその面影はなか。。。
と、おもったら!
うおおぉーーっ!!
わっぜぇ アーケードぢゃらいよぉー!!
どこまでつづいちょっとな。
直方商店街は、しっかりと空前の繁栄ぶりを形に残しちょりもしたぁ。
大関 魁皇(かいおう)関 が地元優勝パレードしたのは
まさにこん、アーケードだったのですな。
はんぱぢゃなく、すごいですよ。
九州の街では、そんなに見れない長さでごわす。
筑豊の栄光ち いえば、
月がぁー でたでったー 月がぁー でたー ハ ヨイヨイ ♪
の『 炭鉱節 』もこのあたりの炭鉱が発祥とか。
(三池炭鉱け?とおもっていたのでごわすが。三池炭鉱系列の田川あたりの炭鉱なのかしらん?)
いまは、静かな直方のまちをながめて、
いろんなことを考えもした。
さて、ブログ記事も前々回で50を超え、
今回で「まちかご」特別編は おしまいごわす。
次回からは、また かごんまネタねた! のココロだっ。
では、きょうはこの辺で。
すっかり夜明けが はやくって、
おいどん的には、さまーたいむズな今日この頃。
さて、きょうは、特別編の最終回。
「 筑豊日記 」でごわす。
写真は、JR直方駅。
かつて、筑豊炭田は、日本最大の産炭地として、
明治から昭和の戦後すぐまで、日本の発展をささえたのでごわす。
戦後すぐ産業復興のため、
石炭、鉄鋼に経営資源を集中する「 傾斜生産方式 」がとられたころ
石炭成金が増え、引揚者が大量に労働者として働き、空前のフィーバー!
(地元の福岡銀行が預貯金量で日本一!!(地方銀行なのに。)になった)
しかーし、エネルギー政策の転換(石炭から石油)で。。
わずか10年で、閉山があいつぎ、過疎化、いまやその面影はなか。。。
と、おもったら!
うおおぉーーっ!!
わっぜぇ アーケードぢゃらいよぉー!!
どこまでつづいちょっとな。
直方商店街は、しっかりと空前の繁栄ぶりを形に残しちょりもしたぁ。
大関 魁皇(かいおう)関 が地元優勝パレードしたのは
まさにこん、アーケードだったのですな。
はんぱぢゃなく、すごいですよ。
九州の街では、そんなに見れない長さでごわす。
筑豊の栄光ち いえば、
月がぁー でたでったー 月がぁー でたー ハ ヨイヨイ ♪
の『 炭鉱節 』もこのあたりの炭鉱が発祥とか。
(三池炭鉱け?とおもっていたのでごわすが。三池炭鉱系列の田川あたりの炭鉱なのかしらん?)
いまは、静かな直方のまちをながめて、
いろんなことを考えもした。
さて、ブログ記事も前々回で50を超え、
今回で「まちかご」特別編は おしまいごわす。
次回からは、また かごんまネタねた! のココロだっ。
では、きょうはこの辺で。
by sumikazu-kago
| 2005-06-01 06:32
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